




アイドルから転身したと言われ続ける女優がいる。デビュー時のキャッチフレーズがいつまでもついて回る男優もいる。レッテルというものは、一度定着すると変えることはなかなか難しい。それを上回るインパクトのある実績がなければ、上書きされることはまずない。
三浦友和の場合、まず彼自身よりも伴侶の存在感が桁外れだった。今もって「伝説の歌姫」「時代と寝た女」と語り継がれる、ほぼ歴史上の人物である。そんな超大物の相手役を『伊豆の踊り子』(1974年)から『古都』(1980年)まで12作も務めた末に結婚したのだから、本人の個性よりも「その夫」というイメージの方が強くなってしまったのは、ある意味仕方ないことだったのかもしれない。
加えて彼自身には二枚目俳優のレッテルがべったりと貼り付いていた。それは、端整な顔立ちということだけでなく、常に清く正しいというイメージも含めてのレッテルであった。彼の略歴にいつまでも「『台風クラブ』(1985年)の演技で新境地」の文言があるのはその証左だ。確かに、同作品の人間臭い教師の芝居は当時新鮮ではあった。だが、「あの二枚目俳優が」という高下駄を履かせた評価であった感は否めない。三浦はその後ずっとこれを言われ続けたわけで、それほどまでに二枚目イメージの刷り込みというものは強烈なのだ。
そういう意味で、近年の三浦が見せている、新境地を更新し続けるかのような活躍ぶりには素直に拍手を送りたい。『死にゆく妻との旅路』(2011年)の車で旅をしながら自力で愛妻を看取ろうとする夫。『RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ』(2011年)の妻の反乱に戸惑う頑固一徹な定年間際の運転士。いずれもひとつの事柄にこだわり続ける不器用な男たちを見事に演じているが、どちらの役にも二枚目の純情さや誠実さが垣間見えるところが魅力になっている。かつてレッテルでしかなかったものが、厚みを増した芝居の中でいい隠し味になりつつある。
さて、近年の彼の仕事からベストの新境地をあげるならば、『沈まぬ太陽』(2009年)や『アウトレイジ』(2010年)の小心ゆえに徹底的に狡猾な悪役も捨てがたいが、ここはぜひ『転々』(2007年)を推したい。善人→悪人よりも、善人→変人の方がより新境地だと思うからだ。
同作品の大半は三浦とオダギリジョーの「だべり散歩」で構成されている。三浦の「おまえウツボカズラとモウセンゴケのどっちが好き?」「刑務所の中ってやっぱ圏外なのかな?」といった独特なボケに対し、オダギリと観客が一緒になって「はあ?」とひたすらツッコミ続ける。一言でいえばそういう作品である。ただ、そんな風変わりな言動の隙間に「好きって気持ちはすり減るだろう?」とか「いま東京の思い出の場所の半分はコインパーキングになってるからな」など、歌詞のようなセリフがフッと入ってきて虚をつかれる。ボケとリリックの波状攻撃にさらされているうちに、劇中のオダギリ同様、ゆるゆると三浦に魅了されてしまうのである。
つかみどころのない芝居で観客の心をつかむ。かつて見たことがない三浦の姿である。これぞ掛け値なしの新境地なのではないだろうか。
次回は「津川雅彦」を予定しています。
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