掲載:2017年12月15日
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平成29年度「わたしと年金」の受賞者決定

 日本年金機構と厚生労働省の連携により「ねんきん月間」(11月)、「年金の日」(11月30日)における公的年金制度の普及・啓発活動を行ったが、その一環として募集した公的年金をテーマにしたエッセイ「わたしと年金」の受賞者が決定し、11月30日に発表した。受賞者は以下のとおり。

「わたしと年金」受賞者

【厚生労働大臣賞】
・後藤 順(岐阜県・60歳代)

【日本年金機構理事長賞】
・三井滉大(岐阜県・高校生)

【優秀賞】
・宇佐美直恵(千葉県・30歳代)
・緒方陽子(福岡県・60歳代)
・梶 恭子(徳島県・50歳代)
・田中千惠(埼玉県・60歳代)

【入選】
・大城戸聡子(兵庫県・50歳代)
・加倉井紀子(茨城県・40歳代)
・田村拓也(福岡県・30歳代)
・寺阪大起(岐阜県・高校生)
・納富由美子(福岡県・60歳代)

※敬称略、各賞五十音順。

【厚生労働大臣賞】 後藤 順(岐阜県・60歳代男性) ※敬称略

今も耳底に残る、カラカラカラと足踏みミシンの歯車が回る音。 子供の僕の視線の先には、中古ミシンを踏む母の背中があった。「父さんの給料だけでは、人並みの生活ができない。子供だけにはひもじい思いをさせたくはない」。母はそんな独り言を常々言っていた。負けず嫌いの母は、そのために内職を始めたのだ。
駅前の問屋から持ち込まれる、裁断された既製服を縫う仕事だ。部分縫いの賃仕事。十銭単位の工賃に、どれほど数を稼げるかで決まる。僕が寝ている最中でも、ミシンの音が響いた。朝早くからもそうだ。母は食事の用意や洗濯などの家事をこなし、その間に内職もする。子供の僕は、母はいつ眠るのだろうかと、不安な思いをしたものだ。
父の給料日。母は父からそれを受け取るとすぐに、五つの古封筒に分ける。封筒の表には、「電気・ガス代」、「水道代」、「八百屋代」、「年金代」、「その他」と書かれてあった。その月に必ず払わねばならないと困るもの ばかりだ。その一つも未払いになれば、生活に支障が生じる。父の給料プラス母の内職代が、それらに消えた。その他に少しでも入れば、貯蓄に回された。
そんな生活の中で、子供の僕には解らないことが一つあった。電気・ガス・水道代が未払いになれば供給が止められる。八百屋の支払いを遅らせれば、つけが効かず現金払いとなり、自転車操業の我が家では困ってしま う。そんな中で、年金の支払いを止めれば「その他」の封筒が増えるではないか。年金など今の直接生活に響くものではない。そんな僕の疑問に母は答えてくれた。
母は、年金を童話「アリとキリギリス」に例えた。こつこつ支払うことで、働けなくなった老後に支給されるという将来への保障。それも政府が保険者になるということで、絶対に未払いなどおきない。生命保険のよう に掛け捨てではないことなど、母は年金を受け取るまで働くとの意欲を見せた。「お前に生活の面倒をかけたくないからね」。その言葉に、僕は老いる運命を感じた。
母は六十歳まで内職を続けた。年金の決定通知が来た日、母の背中から、ようやく重荷が下りたのが分かった。もう、ミシン針は老眼鏡をかけないと見えない。一度、糸が切れたら通すのに拡大鏡が必要な状態だった。そんな母にも、内職の内職らしき注文があったが、年金支給が始まるとそれを断った。「生涯現役と働く人もいるけど、年金をもらえば、それを使うのが仕事さ」と、僕に元気な姿を見せてくれた。
生活費の中心は僕が担ったが、母は自分の生活費だと言って、年金の一部を僕に渡してくれた。どれほど母に支給されているのか僕は知らない。 これまで母の内職代で引け目も感じることなく学校もいけたし、何不自由 なく生きて来られた。その意味からすれば、母の年金の全額をすべて自分の好きなように使ってほしかった。「貧乏性だからね。使い方を知らないんだよ」。そんな母の微笑みが眼に焼きつく。
「良かったよ。給料や内職代を毎月封筒に小分けしたのが。今では、年金をそうしているんだ」。年金支給日に、銀行から下ろしたお金を母は楽しそうに封筒に分ける。「孫のこづかい代」、「旅行積立代」、「生活費助成代」、「老人クラブ会費」、「その他」と。その中で一番入るのはその他だ。とても裕福とは言えない年金だが、母にとっては、一生懸命働いた「御褒美」だ。自分が支払った以上の支給額に、ときに戸惑いの声をあげる。
「私はこんなに貰っていいのかな。孫の世代は大丈夫なのか心配するよ」。 確かに母の気持ちは、今の若者世代の年金への不信感に近い。年金は国民 共通の「互いに支え合う」精神が根底にあるのだが、少子高齢化の現実問題、年金制度が今後どのようになるのか不安が過る。支給額の減額や保険料の増額は避けて通れないだろう。
だが、保険料の未納は、国民の義務としていけない。僕は自分の子供たちに口を酸っぱくして「義務」だけは果たせと忠告している。確かに、両親の生きた時代と、僕たちの時代、そして子供たちの時代から見た、将来は大きく違う。年金が五年後、十年後にどのような形になるのか判らない が、年金を基本とした老後の生活は、どの世代にもあると思う。
五十年以上前、母が「年金代」とした封筒を忘れない。あれが確実にあ ったからこそ、母の老後を充実させた。自助努力にも限界はあるだろうが、 国民のひとりとして、年金制度を破綻させてはいけない。超高齢化と呼ばれても、この最低保障を維持していかなくては、誰が老後を守ってくれる のだろうか。母は僕に教えてくれた。

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